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「マスター、ここから出して~」
車両基地の中に枯れた声がこだまする。
「ねぇってば!」
その少女が声を荒げてもなお、マスターは表情一つ変えずに黙り込んでいた。


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9月のある日、ふと駅にアクセスすると協会から箱が送られてきた。中にはでんこが入っていた。
「あれ、でんこって有料だろ?配送ミスかな」
手紙には新でんこレンタルサービスとあった。
そして、新でんこは未来の有能ソフトウェアをベースにした優れものだとも書いてあった。
未来の人気ソフトウェアと聞いて一瞬心が揺らいだが、マスターはふと我に返った。
「レンタルだろ?万が一壊したら有償修理だろうしこれは放置しとこうっと…」
新でんこは思い出を集めた量に応じて無償譲渡されるらしかったが、マスターには旅行をする時間も無ければ気力もなかった。


新でんこはリコという名前だった。
未来では高性能なソフトウェアのキャラとして多くの人の役に立っていた。
それを見た協会が、このキャラそっくりのボデーとこのソフトウェアを内蔵したでんこを開発したのだった。
ただ、新でんこはそれまでとベースが全く異なるために、量産を前にテスト機を生産して試験を行うこととされた。
思い出集めのノルマが達成できなかったテスト機は回収され、不具合の原因調査のため解体されることになっていた。
しかし、そんなことはリコには全くどうでもいい話だった。
自分の人気と有能さに自信を持っていた彼女は、試験をパスしてテスト先のマスターと過ごせると当たり前のように考えていたのだ。

しかし現実は違った。レンタル品として送られたために、マスターはリコに触れすらしなかったのである。
おまけにマスターの働く工場は家の目と鼻の先だった。これではどうにもノルマが達成できるはずが無かった。
本来ただのキャラクターだったはずの自分がやっと手に入れた物理的な身体。
それが無くなるということが現実味を帯びるにつれ、そのことがリコにとってひどく怖く感じられるようになった。
焦りを感じたリコはどうにかして事態を打開しようとマスターに話しかけるようになった。
しかし、リコがどれだけ呼んでもマスターは相手をしてくれなかった。
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叫んでも無駄だ、もうどうしようもない。そう悟ったリコはマスターを呼ぶことを止めた。
全てを諦めた瞬間、身体の力が抜けていくのがわかった。
どうにも涙が止まらなくなったリコは車両基地の片隅で泣き続けた。
そしてしばらくするうち泣き疲れた彼女はやがて眠りに落ちてしまった。

ちょうどその頃、流石に居たたまれなくなったマスターは家を出る準備をしていた。
何もあてはなかったが、取り敢えず遠くに行く、それだけは心に決めていた。

彼女が目を覚ます頃には、彼女に貼られた"Rental"のシールはきっと剥がれているに違いない。