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久しぶりの更新です。内容は表題の通り。

年末年始少しtwitterをお休みしている間に島根に行って来ました。

本当は1月21,22日のさよなら運転のみ参加する予定だったんですが、

記念のさよなら乗車券が1月7日発売開始でおまけに部数が限られているということもあり、

確実に入手するため、1月6,7日も行くことに(結局当日も僅かながら残っていたようですが)。

ひと月で2回も島根に行くのは流石に初めてです。

6日は津山線と因美線を乗り継いで鳥取へ。

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途中、やちよの元ネタ(と思ってる)車両に遭遇。なかなかいい車両でした。

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砂丘を探検です。

最初入口から見た時は「えっこんなに小さいのw」とか思ったりしたのですが、

歩いても歩いても終わらないという。見くびってはだめですね。

砂丘散策した後は山陰線の快速アクアライナーで一気に松江へ。

快速とは思えない飛ばしっぷりでなかなか爽快な旅路でした。

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そして夜間撮影…

三脚を用意した甲斐あって数年前には果たせなかった低感度の撮影ができました。

1日目はこれにて終了。2日目(1/7)は朝イチで記念乗車券を買った後、撮影に赴きます。

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朝焼けの雲州平田駅でくに2本と並んでいました。

1月7,8,9の3連休は前日休みの予定だったのですが、急遽運用入りすることに。

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満足できる出来かというとそうでもないのですが、ひたすらあちこちに移動して撮影します…

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予定を変更して運用入りしてくれたただけでもうれしいのに、

一日中特急で走る運用に入れてくれたのは粋な計らいだったと思います。



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続いて1月21,22日。こちらは滞在時間と料金を考慮して夜行バスでの移動です。

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さっそく夜明け前から撮影へ。まだ車庫で寝ていました。

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JRとの並走に挑戦。車内は大盛り上がり。

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川跡では普段見られない4本並び。

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車内はこれまでの記録写真で埋め尽くされていました。

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宍道湖を横目に走る姿も、明日で見納め…

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乗務員扉の下のグレー部分に黄色の塗料が付着していました。

前面だけでも綺麗に塗り直そうとした結果、側面まで飛んでしまったもののようです。

最後までこうして気遣ってもらえて幸せだったろうなと思います。

乗車しながら風景や音、においまで全てを脳に焼き付けつつ、

停車駅では写真を撮っていると2日なんてあっという間でした。

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運行後の撮影会は3車種を並べて行われました。

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どちらも惜しまれつつ元の会社を後にして1990年代に一畑に来た車両です。

特に黄・青・白のカラーは90年代中頃に採用され、今まで一時代を築いてきました。

それも、改造や塗装変更、そしてこの3000系の引退で見納めとなってしまいました。

(申し訳程度とはいえ)5000系が黄・青帯を残しているのがせめてもの救いでしょうか。

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撮影会では制御装置(モーターに流す電気の量を調節するいわば心臓部)の内部も公開されました。

また動作のデモンストレーションが行われ、実際に動く様子も楽しむことができました。

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撮影会も時間が経ち次第に人が少なくなってきた頃、

最後にスタッフが前面の行先表示板を全部乗せるサプライズが。

そしてファンが持ち寄っていた南海電鉄の表示も一緒に飾ることに…

皆さん楽しそうにしていました。

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低く鋭い音で警笛を鳴らした3000系が、車庫の奥へと引き上げていきます。

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電源を落とし、全てが終わりました。本当に、お疲れ様でした。

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さよなら運転に乗車し、撮影していて気付くこともいくつかあったのですが、

例えばさっき上げたように、引退目前にも関わらず前面が塗り直されていました。

晩年は一畑の車両故障に占める割合も多かった3000系。

中には自動車と衝突して走れなくなる編成もいました。

それでも修理し、そして最後には綺麗な姿で走れるように取り計らった現場の方々。

この3000系がどれほど大事にされてきたのか伝わってきます。

他にも、家の窓から手を振る地元の方や、撮影会で車両とツーショット写真を撮る老夫婦…

20年間走ってきた間に、随分と島根の地にも馴染んでいたようです。

南海で活躍した時代も含め、本当に愛され続けた50年間だったと思います。

その事を思うと、少し幸せな気持ちになりました。

おわり。